2017年




ーーー2/7−−− 脱衣室が無い温泉


 テレビで別府温泉を紹介する番組を見た。その中に、地元の人たちが管理をしている、小さな共同浴場があった。入り口を入るといきなり浴室で、壁際に脱衣棚があった。

 家庭の風呂でも、温泉の浴場でも、脱衣室と浴室の間には仕切りの壁があり、その仕切りに設けられたドアなり引き戸なりを通って浴室へ入るのが普通である。この共同浴場の簡素化された作りには、ちょっとしと意表を突くものがあった。家内は「脱衣場も暖かくて良いわね」と、この時期ならではのコメントを口にした。私は、浴槽から脱衣場が見えるので、盗難を防ぐ意味もあるのかと思った。

 その浴場を見るうちに、似たような光景を思い出した。

 奥会津の湯の花温泉。そこにある無人の共同浴場「石湯」。車で谷沿いの道を山奥へ辿り、とある旅館の駐車場に車を停める。崖に付けられた階段を降りて川に出ると橋が架かっており、その上から下流に小さな小屋の屋根が見えた。小屋は、川原に鎮座した巨大な岩にもたれかかるようにして建っている。それが「石湯」であった。

 入り口で、小さな金属製の箱に料金を入れ、戸を開けて入ると、そこは湯気がもうもうとする浴室だった。かなり狭い、八畳ほどの室内である。中央に湯船が掘られており、その周囲が板張りの床になっている。靴を脱いで上がったスノコが脱衣場である。

 夕暮れに近かったので、室内は薄暗かった。目が慣れると、奥には腰高の衝立のようなものがあり、その先が洗い場になっていた。湯船の向こうにも衝立があり、その衝立の陰に小さな第二の浴槽があった。室内には、巨大な岩の一部がめり込んでいた。岩の形状に合わせて小屋を建てたような感じであった。これまで経験したどの温泉よりも、野趣に富んだたたずまいだった。

 浴室の隅に戸があり、それを開けて屋外に出ると、川原の岩の上に立った。すぐ先に、ザーザーと音を立てて、水流があった。対岸の崖の上に、旅館の明かりが見えた。先ほど下った階段と、渡った橋に、点々と明かりが灯っていた。夕闇迫る渓谷には、しみじみとした美しさが漂っていた。

 その時は、かの地の材木屋に用事があり、小学5、6年だった息子を連れてトラックで出掛けていた。材木屋の店主に勧められ、ちょっと足を伸ばして石湯に向ったのだった。二人で湯船に漬かっていたら、地元の人とおぼしき老婆が入り口を開けて入ってきた。その後ろに、中学に上がる前後といった年齢の少女が現れた。

 お婆さんと孫娘は、毎日のようにこの浴場を利用しているのであろう。お婆さんは、見知らぬ二人の男性の存在、つまり我々を、特に意に介さなかったようであった。スルスルと衣服を脱ぎ始めた。しかし、少女は違っていた。暗がりにはっきりと分かるほど、厳しい顔で立っていた。まるで敵でも見るような、険しい目付きで我々を睨んだ。その怖ろしいほどの視線に見据えられて、私はたじろいだ。後で息子に聞いたら、やはり怖かったと感想を述べた。





ーーー2/14−−− 演劇の思い出


 
小学生のお子さんがいる家庭に遊びに行き、親子と歓談した。子供に、「何の教科が好きなの?」などと話しているうちに、ふと思いついて「劇なんかやっている?」と聞いてみた。すると答はノーだった。私が「それは残念だ。子供の頃演劇をやるのは大切な事だと思うけどね」と言うと、母親は「あら、どうしてですか?」と言った。

 劇とは他者になることである。年齢、性別、職業あるいはヒト以外の動物まで、自分とは異なった立場を体験することである。それにより、他者の気持ちを理解したり、逆に自分を客観的に観ることができる。子供の頃にそれを行なうのは、とても大切な事だと思う、と答えた。

 欧米の教育では、演劇は重要なテーマとして位置付けられているようである。事実、我が家の長女が、旧穂高町の事業でジュニア大使としてオーストラリアにホームステイしたときに、あちらの中学校では年に何度も授業として演劇を練習すると聞いたそうである。もっともあまり勉強に熱心ではなく、もっぱらそういう「遊び」のようなものをさせるのが、その地の学校の傾向だったようだが。

 私は小学時代を東京都中野区で過ごしたが、通っていた小学校では毎年秋に学芸会を行なった。学校には講堂も体育館も無かったので、近くの高校の、立派な舞台がある講堂を借りて開催された。これは一大イベントであった。

 出し物は、合唱、器楽演奏などの他に、学級を越えて構成される演劇があった。主役をはじめキャストは、担当の先生が決めた。現代なら、お母さん方が、自分の子供を重要な役に付けろとか、配役が不公平だとか騒ぐかも知れないが、その当時は学校側におまかせで、何の問題も無かった。

 私も主役こそ貰えなかったが、けっこう重要な役を頂いたことがあった。一回目の練習の時、台本を読んだら、先生からダメをくらい、危うく外されそうになった。家へ帰って何度も練習をしたら、次の練習でOKを貰い、ホッとしたのを覚えている。

 演技や台詞の練習だけでなく、大道具、小道具も生徒が作った。衣装もそれぞれ工夫をし、母親に手伝って貰って作ったりした。照明は美術部、音響は放送部というような役割分担もあった。とにかく、総合力が試されるイベントだったのである。

 そして本番。舞台の上には、過剰に明るいほどの照明が満ちていた。楽屋では、出番待ちの役者が、緊張のあまり異常な興奮状態であった。上がらないためのおまじないを何度も繰り返した。それでも、いざ舞台に出て、スポットライトを浴び、暗闇の観客席に向って声を出し、演技をした時の気分の高揚は、今でも忘れない。

 先日テレビで、桧枝岐歌舞伎が紹介されていた。住民が主体となり、伝統を受け継いできた行事である。往年の千両役者と言われるお婆さんがいた。若い頃から苦労を重ねた人生だったが、その傍ら歌舞伎に加わり、いくつもの役をこなしてきたと言う。そのお婆さんの言葉が、印象に残った。

 「歌舞伎では、役の中で、怒ったり、泣いたり、大声を上げたりすることがあります。それで、私は気持ちがラクになるように感じたものでした」

 



ーーー2/21−−− 突然のoff


 朝起きて、まず体重と血圧をノートに記録する。次いで聖書日課を行なう。それからパソコンに向って、ブログのアクセス状況やコメントの有無などを調べる。さらにパソコンで、気象やニュースなどの情報収集を行なう。

 一連の作業をしながら、ラジカセでBGMを流す。曲目はまちまちだが、朝の雰囲気に合わせて、クラシックの曲が多い。ここ数日は、バッハのマタイ受難曲である。

 数世紀の時を隔て、東の果ての名も知らない島国の、山里の一軒の家の中で、自分の曲が愛聴されていることを知ったら、バッハ大先生は感動し、むせび泣くだろうか。

 家内が起きてきて、朝食の準備を始める。私の方が寝るのが早いので、朝も私が先に起きるのである。それはさておき、家内が登場すると、がぜん一日の始まりというモードになる。さあ、テレビをつけようとなると、ラジカセの音が邪魔になる。そこで、プチッとスイッチを切る。壮大な受難曲が、一瞬のうちに消滅する。

 さっきまで感動しておられた大先生の失望感は、いかばかりか・・・





ーーー2/28−−− 火があるところに爆発なし


 「火があるところに爆発なし」という言葉を、会社勤めをしていた頃に先輩社員から聞いた。化学プラントに関わる安全標語の一つだという。逆説的な表現なので、いまだに記憶に残っている。

 この語の意味はこうである。燃料を燃やす装置に於いては、燃えている状況、つまり火がある事は正常であり、安全である。逆に燃えているべき時に火が無いのは、危険である。火が着いてないと燃料が溜まり、それに何らかの原因で着火すると、爆発する、ということである。

 これは、化学プラントに限ったことではなく、日常生活にもあてはまる教訓である。つい先日も、そのような事があった。

 工房の中が寒いと思ったら、だいぶ前にスイッチを入れた石油ストーブに火が着いていなかった。こういう時に、「点火ヒーターが不調なのだろう。マッチで点火しよう」などとしたらどうなるか。

 ちなみに、このストーブはポット式である。円筒形の燃焼室の底に灯油が出て、それが燃える仕組みである。学校の教室などで使われていたタイプで、昔はマッチで火を着けた紙を投げ込んで点火することもあった。年配者なら、そういう方法を覚えているだろう。

 10年ほど前に、母屋で使っている同じ型のストーブが故障し、修理業者に来て貰った。その際に、もし火がつかないまま灯油が出続けたらどうなるかと聞いてみた。すると答は、「底に大量の灯油が溜まっていて、それに火が着いたら、爆発的に燃焼して、火事になるでしょう」と言われた。燃えているはずのストーブが消えていたら、絶対に火を近づけてはいけないのである。

 ストーブの蓋を外して覗き込んだら、案の定底に灯油が溜まっていた。布に浸み込ませて取り除けるような量ではない。夕方遅かったが、ホームセンターのペット用品売り場へ行って、熱帯魚の水槽に使うチューブを買ってきた。それを使ってサイホンの原理で抜き取った。ペットボトルに入った灯油は800ccほどであった。この量の灯油に火が着いたら、どんな事になるか。想像するだに怖ろしい。

 通常の運転でこのような事態が起きる事は、まず無い。このストーブでも初めての出来事だった。原因を探ってみたら、操作ミスだと分かった。昼に上がる時、ストーブを停止したのだが、何か急ぎのことがあって、操作の中途で工房を後にした。これ自体は、危険な事では無い。送風ファンが回り続けるだけである。ところが、午後になって再起動する時に、勘違いをして、点火シーケンスを元に戻さないまま、燃料のダイヤルを回したのである。それで、火が着かないまま灯油が出続けたというわけ。

 火が着いていれば、出た燃料は消費される。火が無ければ、出た燃料が溜まる。溜まった燃料に火が着けば、火災になる。まさにそのような筋書きが、危うく現実になるところであった。

 これを書いているうちに、他の事を思い出した。

 市の運動会が行なわれたときのこと。会場は中学校のグラウンド。地区の役員がテントを立て、机と椅子を配置し、豚汁を作る準備をした。大型のガスコンロにボンベを繋いで点火した。その時に、ある人が、注意をした。ホースを踏むと危ないから、人が立ち入る場所からホースを遠ざけるようにと。

 何故危ないのかと言う説明が続いた。ホースを踏むと、燃料ガスが遮断されてコンロの火が消える。踏んだ足がどけられたら、ガスはまた流れる。しかし火は消えているので、ガスは出続けて辺りに充満する。それにライターの火でも着いたら、惨事になるとの事だった。







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